女川町誌
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次に文献に残つているものに、大正八年三月十四日第四十一議会に於て、仙北軽便鉄道買収費公債発行に関する法律案を委員長が報告の際、その報告に「尚石巻港トイフモノニツキマシテハ委員正木君ヨリモ質問ガアリマシタガ、即チ石巻港ニ出入スル所ノ船トイフモノガ水尋ノ上、川澪ノ上ニ於テ吃水ノ大ナル船舶ヲ入レルコトガ出来ナイガ、之レニ関スル政府ノ計画如何トイフ御質問デアリマシタガ、政府ハ石巻港ヲ距ル四里許リノ所ニ女川トイフ港ガアリマス、其所ハ立派ナ港デアツテ、他日此ノ女川ニ相当ノ設備ヲ作ツテ海陸連結ノ最モ便利ナル方法ヲ講ズルデアラウト言フコトデアリマシタ」と言つている。この説明は結局政府が他日女川港の修築と鉄道敷設計画を声明したことになるわけである。 大正十年五月全国鉄道速成同盟会設立せらるるに方り、女川・渡波・石巻は「松島女川線」を提げて、これに参加し、大正十一年法律第三十七号鉄道敷設法により全国百四十九線の鉄道網中に始めて女川線が席を占めることになり、今後の運動はこれが起工の促進に集中されて行くわけである。 請 願 書 (松島女川鉄道と漁港指定) 女川湾は宮城県の東端に方り横浜函館間五百五十浬の殆んと中間に位し、湾口東北に面し湾内三面悉く山岳を以て囲繞せられ、前面には出島・笠貝島・足島・江ノ島・平島・二股島の諸島点在し、更に東南に金華山の横はるありて防波の設備自然に備はり、湾内常に静穏にして風波激浪を見ること極めて少く、又湾内各所水深其の度を保ち、加ふるに天恵の湾曲宜しきを得、大小船舶の繋留避難に好適せる天然の良港にして、殊に漁港として有望なるは天下の斉く認むる所なり。即ち湾外一帯は本県を中心とせる一大水産区域にして、所謂世界の三大漁場の一と称せらるる天然無尽の大宝庫たる金華山漁場にして、単に三陸沿岸の漁業者のみならす、福島・茨城・千葉・静岡其の他太平洋沿岸各地の漁業者悉く集中し、奮闘努力相競うて之か開拓に従事しあり、又近時日本海沿岸北陸方面の漁船遠く来りて 281

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