女川町誌
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出入した。その後明治十八年秋に至り、日本鉄道会社は仙台地方に於ける鉄道敷設の測量を開始し、同二十年十二月十五日には塩釜―仙台から福島までの鉄道が開通した。 これより先き上野・白河間の鉄道が開通していたが、二十年七月には郡山まで、同十二月には福島へと北上して来たので、ここに東北本線は東京から仙台―塩釜まで完成したのである。上野・青森間の東北全線が開通したのは、七年後の二十七年で、常磐線の開通は同三十年十一月であつた。そして当時の運賃は仙台と上野間が一円九十銭、岩切が二銭、松島が五銭であつた。当時としては可なり高価であつた訳である。 女川町に始めて鉄道の敷設されたのが、大正十二年四月のことで、当時は金華山軌道会社によつて営業された金華山軌道であつた。軌道は石巻町湊を起点とし、渡波を経て万石浦の北岸を迂回し女川村鷲神に達するものであつた。 この軌道の敷設を計画した人は柴山某であつた。氏は曾て北海にラッコ船を営んで成功した人物あつたと伝えている。 さてこれより先き、村当局は女川港の将来を考慮して、左記建議書を其筋に提出した。 建 議 書 国有鉄道仙北線を臨港線として石巻町より女川港に延長するは、尤も公益上必要と認むるに付意見書を内務大臣に請願書を鉄道院に提出すること、但之意は村長たる議長に一任のこと。 右建議候也 大正九年二月二十九日 建 議 者 村会議員一同 女川村会議長 佐武雄平 殿 次いで昭和四年十一月、私設宮城電気鉄道、今の仙石線が仙台―塩釜より石巻まで全通して、仙台と石巻―女川の距離を短縮した。更に昭和十四年十月に至り、国有鉄道の石巻線を石巻より女川まで延長し、女川線として本格的の 278

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