女川町誌
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第四節 女川鉄道の開通 一、国鉄女川線の敷設 明治五年に東京新橋と横浜との間(七里)に、始めて鉄道が開通した。当時高い利子をつけて外債を募集し、機関車はもとより枕木までも外国から買い求め、その上設計其他一切を外国技師に依頼して出来上つた。 同年九月十二日の開通式当日、天皇陛下には親しく衣冠束帯の御姿で、三条実美以下文武百官を随えられて御試乗遊ばされ、勅語を御下賜になられた。 当時一日の往復は四回で、等級は上・中・下に別れていた。汽車賃は上等は一円十二銭五厘、下等は三十七銭五厘で、その頃米一升は三銭であつたから相当高い乗車賃であつた訳である。田舎からわざわざ見物に出た年寄りは「これも長生きした御蔭だ」といつて土下座して拝んだ。また踏切番は厳めしく刀をさして警戒したということである。 全く今昔の感に堪えない。 わが仙台地方は、今の東北本線が開通するまで、東京と仙台との往来は陸路以外海路により寒風沢または塩釜から277 (以上昭和三三年七月一日まで)

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