女川町誌
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第二章 女川町の交通 第一節 明治以前の道路 一、古代交通の発達 道路の始まりは歴史の始まりであると史家はいつている。古代の道路は初め野獣の歩いて居る道から始まつたものらしい。多くの場合人間はその道に沿うて歩いたものと思われる。之が所謂地の利である。 万石浦の沿岸に今も屢々縄文土器が出土している。それは、日当りの良い海岸の断崖で小川に沿うた所である。その頃の土人はこの辺の小道を歩いて居たと思われる。そしてやがては主要な食物などもこの道によつて運ばれたのである。 かく古代に於ては定まつた道路というものがなく、海岸や山中の歩きやすい所をたどりたどり歩いたものと見える。段々世の中が開けるに従つて人々が力を合せて、山の木を伐り、岩かどを切り崩したりして、歩きやすいように直し、始めて定まつた道路が出来たのである。 わが国では奈良時代に都と九州との間に出来た道路が国道の始まりだと伝えている。その後仏教の普及するにつれて、地方の大きな寺院へ通る道路が開かれ、また地方を治める役人の居る役所への道路、或は各地から租税を運ぶ為に作られた道路など、政治上や宗教上の必要から次第々々に発達して来たものと見られる。 東北地方の様に都から遠く距り、而も二千年の昔まで、日高見の国と呼ばれ蝦夷が住んでいた当時の交通などは如 247

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