女川町誌
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なして居るものであることは勿論である。ここに注意すべきことは、鷲神・女川・宮ヶ崎以外の部落にも出願が非常に多かつたことである。これ等の現象は一は各部落の人口増加に伴い宅地造成の必要に迫られ、或は部落漁港修築上実施したのもあるようであるが、大面積出願の浦宿・大沢方面のものは、急速なる女川港発展を豫想して投機的埋立計画をなしたるものもあるらしく、遂に実施しないものもあり、或は損失倒産したものもあるようである。別表を見ると昭和七年頃(鷲神方面県の漁港工事着手)から俄に石宮方面の町・県・民間の埋立が目立つて見える。これは女川尻工事関係から町や県の工事が宮ヶ崎埋立となり、民間は将来を予想して宮ヶ崎・石浜方面を埋立てたものと考えられる。その後に行われた鷲神から石浜までの埋立は、殆ど県工事で今日の漁港商港の為めの工事である。由来女川港は湾形も水深も優秀であるが、平地の少ないことが最大短所である。故を以て浚渫することは殆ど行われず、埋立一本で終始して来たのであるが今後埋立可能と目される所は、㈠現在(三十三年度末)の漁港工事を進めること。㈡小乗地先、㈢日水と防波堤間位のものである。而かも之等の土地は合計して、三万坪にも達しまいから大工場敷地となれないことは勿論である。然るに女川港は優秀である、他に類例ない程よいとされているから、どうしても大工場地を設定せねばならないという事になれば、万石浦の埋立と石巻方面への高速道路開設及び五部浦の開発となるではあるまいか。これが女川町の公有水面埋立の沿革と将来の予想である。備考別表は出願して町議会が支障なしと知事に回答した件数及び坪数であるが、埋立を実施せずにそのまゝとなつたものも幾分ある。しかし大部分は埋立したものであるから、これによつて大勢は窺うことが出来る。238
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