女川町誌
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城県漁連の反対運動に逢着し、これに関係密接な業者が同調したので、大なる町政上の問題となつたのである。反対陳情書は省畧することとする。こゝに於て町の主流派と漁連派との対立気分は、町政の種々なる方面井反映して悪影響もあつたが、主流派の意見により昭和二十五年町が主動権を握る魚市場を角浜に新築して八月開業したので魚市場二つの対立競争となり、思わしからざる空気がみなぎりつゝある時に於て、昭和二十六年四月町議会議員の選挙が行はれた。而して町側の魚市場は次第に不振に陥り、一方修築工事も角浜方面は二十六年度中に殆ど完成し、二十七年度は女川方面に着手せざるべからざる状勢に迫つて来た。是に於て町と県漁連との間に次の如き覚書を交換して魚市場も一本になり、修築工事も昭和二十七年四月より女川河尻方面から工事を開始したので、年来の障害は除かれ順調な歩みを続け昭和三十二年町費四千二百万円を以て魚市場を完成し、これを県漁連に貸与して営業せしめることになつた。(覚書省略)東北電力KKと女川港東北電力株式会社が、日本興業界発展の急激なるに鑑み、青森県と宮城県に大火力発電所を建設せんと調査を始めたのが、昭和三十年頃からである。宮城県としては塩釜・女川が最有力候補地となつた。女川を候補地とした理由は現在は石炭を燃料とするが、将来は重油に替える見込みで、その際は三万屯以上のタンカーが着岸出来る港であること、それが最大の魅力であつたわけである。依つて木村町長は岸壁及敷地計画書をも提出して懸命の運動を試みたが、多量に排出する石炭ガスによる敷地増成地の少きこと及び仙塩工業地帯に遠いこと等の短所により遂に塩釜港隣接七ヶ浜村に設置することになつたのである。現在(昭和三三年)完成された商工開発は北上綜合開発の一環として、万石浦に工業地帯を開発すること及び高速235

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