女川町誌
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すべき所は、渡波石巻の大平野と北上川の水にして更に仙塩地帯も範囲に入るものと信す。㈧日米航路は女川沖(金華山南方)を通過して横浜に至るを以て、女川は寄港頗る便なり、而かも横浜に比し二十時間以上を短縮することを得、従つて郵便物の国内配達も東北地方は三十時間、東京方面と雖も十時間を短縮することを得。㈨大戦前東北沿岸の対米輸出品の主なるものは、冷凍メカジキ・冷凍鰹・種子カキ等なりしが、再び輸出せらるゝものと信じ、之を女川港より輸出する時は沿岸漁民水産業者の利益甚大なるものあり。㈩平和日本が観光客招致するに方り横浜神戸経由を、女川・神戸経由となすことに依り、東北地方の受くべき利益は洵に大なるものあるを信ず。女川港と石巻、北上川との関係(昭和十四年女川線開通の際石巻日々新聞所載要項)我国経済圏の構成は、㈠大河川と其の平野㈡其の河口と近傍良港と此の二条件を主とするが如し。㈠関西経済圏淀川と其の平野、大阪と神戸港㈡東海経済圏木曾川と其の平野、名古屋と熱田港(合併後名古屋港)㈢関東経済圏利根川荒川と其の平野、東京と横浜港此の原理を推して今後東北経済圏の発達を予想するならば、㈣東北経済圏北上川と其の平野石巻と女川港而してその圏内に入るべきものは仙塩地方より東北一帯に及ぶものと信じ、石巻女川間の鉄道開通は誠に重要なる意義を有す。第二号女川港の沿革と現況㈠女川湾は西南北の三面の山岳及丘陵に囲繞せられ、湾口は南東に面し湾外に出島・江島・二股島等の諸島点在し、湾内常に静穏にして燈台、防波堤より内港(面積一、三三〇、〇〇〇平方米)は其の三分の二は深十米より最深二十八米に及び巨船の出入碇泊に最適にして実に天与の良港なり。(往時の築港と計画案)㈠明治十年成川宮城大書記官と島岩手県令による工事費四十万円の修築計画228
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