女川町誌
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ず。玆に地方有志は大正十四年東京市磯村合名会社と協力して女川振興会を興し昭和二年以降工費金弐〇〇、〇〇〇円を以て埋立工事を行ひ、弐五、〇五三平米の地積を得延長六〇〇米の護岸を築き魚市場を設置せり。次て昭和六年工費金五千円を以て越木礁に燈竿を設置し航行を安全にし、更に昭和七年時局匡救事業として工費金一五〇、〇〇〇円を以て漁港修築工事を施工し、更に昭和十一年海嘯防止対策事業として防波堤延長一四七米工費金一五七、〇〇〇円の起工せらるゝことゝなり、愁眉を開くに至れり。而して現在の本港施設は防波堤延長一〇〇米及工事中の防波堤一四七米、水深二米物揚場三四五米、横桟橋幅員五米長三十米二ヶ所、施設桟橋幅員四米長二二米、幅員八米長四米及幅員五・四米長二三米のもの各一ヶ所及ひ魚市場等にして、鮮魚其他雑貨を取扱ひ得るに過きす。今や人口は増加し生産業殊に水産関係事業は勃興し油槽・製氷及冷凍冷蔵の諸施設は整へられ漁猟に備へたるも魚揚場は水浅く漸く桟橋に依りて辛うして其用を便ずるに過きず、大型漁船は空しく沖懸りの状況にあり。斯の如く水浅きのみならず甚しく狭隘を告げ其拡築を急務とするに至れり、更に明十三年には国有鉄道開通すべく、出入船舶頻繁を加へ移出入の物資は急増すべく其処理に困難すへきは明瞭なり、是れ本港修築の急を要する所以なりとす。風向及風速風向は西北風多く、之に亜くは東南風東北風の順序なり、風力は東北風を最大とし之に亜くは西北風東南風及西南風なり。而して悪風は東北風にして波浪を伴ひ本港の休戚に関す。潮流及潮汐潮流は速力大ならず毎秒一米を最大とし、潮汐は春秋大潮一・七一米なり。内港面積越木礁以内を内港とすれば水深五米以下三三〇、〇〇〇平米、同五米以上一、〇〇〇、〇〇〇平米、合計一、三三〇、〇〇〇平米あり。210
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