女川町誌
257/1094

石森長治浜野弥惣吉佐藤留七評議員鈴木清作佐藤寅治須田七五三松武山由太郎浜野源太郎阿部左右太木村要助阿部助蔵木村新助木村大五郎木村豊治阿部政蔵勝又留治郎阿部雄治この手紙と記念碑によつて女川振興会の発端は勿論、その精神も事業も昭和五年八月までに完了したることも大体理解されると思う。而してこの事業が本町の港湾運動を推進したる点に於ても亦大なる功績を認めねばならない。第七節女川漁港修築の實施一、女川漁港の修築設計大正十一年十二月、県議亘理晋氏外四名により漁港指定の意見書を県会に提出された前後より、県会は女川を取るべきか、気仙沼を推すべきかと二分され。対立抗争が激化していた。前述の様に植木新作氏が村議員に立候補した際の政見発表には、この対立に真剣に取組んだことが窺われる。その後磯村氏の女川進出により築港問題は進行したが、更に昭和二年に至り、町会の決議により農林省に委託して女川港調査設計を立てた。これも気仙沼港と対立する問題に無関係な所産ではなかつたのである。次に当時の宮城県女川漁港調査設計復命書を転載して、その設計構想を明にしよう。宮城県女川漁港調査設計復命書(抜抄)(昭和三年農林省に依託したるもの)目次一、女川漁港調査設計復命書195

元のページ  ../index.html#257

このブックを見る