女川町誌
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翌十二年一月二十三日石巻・渡波・蛇田・稲井・荻浜・大原・鮎川の各町村長より、貴衆両院議長に対し女川港を漁港に指定せられんことを請願し、同二月両院ともに満場一致を以て採択せられた。同十二年六月十五日の河北新報は次のように報じている。本県漁港調査漁港設置問題に関し県は県会の決議に基き、気仙沼・女川両港を候補地として調査を行ふ事となり、今年度予算に之が調査費を計上したるも、未だ調査開始の運びに至らざりしが、今回土木課より技師を派遣し愈調査に着手する事となりたる由にて調査には少くとも四、五か月を要すべく、その結果は一切農商務省に報告し、孰れを指定するか同省の決定に任すべしといふ。更に同十二年十二月渡波商業クラブ幹事長玉井庸四朗氏より農商務大臣並に知事に対し、女川港を指定漁港とせられたき旨の請願書を提出された。また大正十三年三月には、宮城県会議長矢本平之助氏より港湾協会長に対し、次の如き意見書を提出された。女川港湾及漁港に関する意見書宮城県は女川湾なる天然の港湾を有す。聞説疇昔帝国議会の秘密会に於て政府は海軍拡張東海艦隊を設置せらるゝ場合は軍港として以て帝国の権威を発揮する所となすも、其間は要港となし他の窺知を許さゝる所となしたり。然るに帝国は華盛頓会議列国と締盟の結果陸海軍を縮少し東海艦隊は設置せさるに至れり、故に此良港湾をして商港たらしむるは世界的の建説にして一日も等閑視するを許さゝるなり。宮城県会は政府の意を体し漁港設置の急を認め、二ヶ所を選定し、女川湾其の一なり、同港は世界三大漁場の一なる金華山沖に当面し魚族の豊富なる188
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