女川町誌
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(乙)一条の運河を鑿ちて女川湾と北上川との間に通すれば殆んと可にして其工費至少なり、故に築港の位置として女川湾を選ぶの利極めて大なり。(以上テー・エチ・ジエムス氏報告)(丙)仙台湾には築港の好位置なきか故に女川湾を採り、女川石巻間に一の運河を開通するは最上の策なり、女川は良港たるへき諸条件を具備するを以て之を開築すへく之に要すへき運河も極めて容易に開通せらるへく、而て運河開通の日には望む所の目的既に達したるなり。(以上ムツドル氏報告)以上の諸報告は本県下に商港開築の企てありし時に当りて、内務省御雇技師デレーク氏の実測復命書中に列挙せるものにして、氏も亦女川を以て築港に最も適当せる地なりと断定せり。商港と軍港とは其の性質同しからさるを以て、之に要する情状も随て異なるものあるへしと雖亦以て同湾の形勢如何を視ることを得へし。聞く所に拠れは貴省に於ては夙に女川湾を以て軍港に内定せられ、早晩開築の事に従はるへしと云へり。果して然らは同港を以て軍港と為さんことを請願する所以実に玆に在り、思ふに軍備上の事は国家の機祕と為すへきのみならず専門の知恵を有するに非らんすは得て議すへからすと雖、之を海より云ふときは横須賀鎮守府より函館に至る四百餘浬の沿岸之を陸より云ふときは、第二師団の管轄内にして一箇の軍港なくしては、国家防備の道に於て未だ完全なりと謂ふ能はさるに似たり、況んや国運の拡大するに従て対外の事局益多きを加ふ可く、而て北辺の警備大に注意を要するものあるに於ておや、別冊に具する所は則ち商港として女川開築の工事を設計せしものにして、之を以て直ちに軍港開築に施す可からさるは勿論なりと雖、設計工費の大概を知るに足るものあり、即ち金七拾八万五千円弱を投するときは一箇の好港を開築す可し、僅々七拾八万有余円の費用を以て軍備上欠く可からさる軍港を開築することを得ば、国家に於て至大の利益あるは某等の言を俟つて後知るに非らさるなり。伏て希くは国家防備の急を思ひ、某等輿情の存する所を察し、実際の情状を測量査究して速に女川湾を以て軍港と為されんことを謹て請願す。明治二十九年一月宮城県牡鹿桃生両郡有志者千二百八十二名連署170

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