女川町誌
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第四四二号(写)当県下牡鹿郡石巻町字立町三十一番地伊沢作次外千二百八十一名より女川湾軍港開築の件に付別紙の通請願候に付及進達候也明治二十九年二月八日宮城県知事海軍大臣宛備考この書類は女川町に関するものであるが、同時に渡波町に関するものでもあることは以下の書類によつて明らかである。請願書冊子題名(参考のため冊子全文を載せる)開築請願書併に附属書類目次女川軍港請願書本網商港請願書女川開築工事設計書⑴女川湾軍港開築請願宮城県牡鹿・桃生二郡の有志千二百八十二名の連署を以て、玆に女川湾を以て軍港と為されんことを請願す。征清の一挙国運頓に勃興し復た昔日の日本に非らす、苟も斯の機に乗して国威を振作し衝を字内の中原に争はんと欲せは軍備拡張の緊要なるや素より論なく、軍港の開設殊に其の急なるを見る面を既往の事蹟に鑑み将来の趨勢を察するに、北辺の警備最も忽諸に付すへからす、而して軍港の開設も亦東北に於てするの極めて緊要なることを信す。女川湾は宮城県牡鹿郡に在り、面積広濶として水量最も深く、且つ山岳の環饒するあるを以て風浪の憂ひなくなり、今日の儘にては十数艘の汽船を繋泊せしめて綽然餘裕あり、其良好の港湾たることは左の諸報告に依りて明かなり。(甲)仙台湾内には適当なる位置なし、女川最も良好なり、女川は商業船舶の発着安全便利にして、且つ年中時と場合とを選はす入港するを得るか如き、商港必要の目的を達するまてに長歳月と大工費とを要せさるなり。女川湾は外国より太平洋を踰えて来航する所の汽船も亦時々寄泊するを得ん。(以上ジエ・エム・ジエムス氏報告)女川軍港本網商港169

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