女川町誌
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くれたことを賞讃して、イスパニヤは多くの領土を持つて居るから日本との通商の利益などは眼中にない。たゞ願ふところのものは、全国こぞつて基督教に帰依するように切望する旨を言い、更に宣教師を招いでキリスト教を広めることが、両国の交りを固くする最も有効な道であることを説いた。其後王は大使と食事を共にし、イスパニヤ風の調理をして肉を供され、又盃を交換し大いに歓待を受け宿舎に帰つた。金曜日は王と共に重臣の家に招かれ、朝の十時から午後の五時ころまで非常な歓待をうけた。その間珍らしい劇を見せてくれた。その劇は戦争の場面ともう一つは或る王女の話を仕組んだもので、アラゴンの諸王の話に似て興味深いものであつた。日曜日の夜王は使者をして、記念の為にと黄金造りの鎧二領と、王が高麗征伐に用いたと言ふ血のついた刀一振、その他衣類や銀二十枚を贈つてくれた。又われわれ一行の為にと旅行中の糧食・馬匹及船舶等の用意もされ、その上奉行二人と護衛の士をも随行させるといふ好意を示してくれた。火曜日、水曜日、木曜日(略)金曜日海を航して夜オヅカ(牡鹿)に至る。途中一つの大きな湾入を見た、湾口に三つ四つの島が横はり、港は安全であつて二百屯位の船舶は自由であらう。翌日ミナト(石巻湊)に行く。大きな河(北上)があり、こゝを過ぎて海に注ぎ河口は砂で埋つて浅い。月曜日航海を続け、又河口浅き一河に着いた。こゝから一レグワを距てゝ全く風をうけずその上水深い良港を発見するに至つた。千屯以上の船舶が碇泊出来る港である。小竹といふ。この港をサンタ・マリガリタと命名した。緯度三十八度強で、又一レグワをへだてて右に劣らぬ良港を発見してサン・フェリペの称を与へた。この海岸に月の浦といふ村がある。更に三レグワを進むと水深き良港を見る。ギンダツと言ふ。これをサリナス港と名づけこの日尚も進んで大原に着きこゝで泊ることゝした。大使はこれまで探検した結果を国王(政宗)に報告することを怠らなかつた。この夜国王からも書簡が二通とゞいていた。それによるとこの後更に踏査の報告を継続され度いこととわが領内に良港が発見されて、イスパニヤ国王及臣民がこれを使用し両国の国交を深めたい旨を申越している。翌日土人の言によつて一レグワを距てた一つの港に着いた。159

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