女川町誌
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第二編築港・交通第一章女川港の修築第一節女川港の存在一、金銀島探検記と女川女川地方は牡鹿郡浜方女川組として、女川湾を中心とし、沿岸漁業の早くから行われて来たことはもとより、金華山や江島・出島などの離島と往来のあつた所である。然るに慶長十六年(一、六一一)の昔、イスパニヤの使節セバスチャン・ビスカイノ一行がこの海岸一帯を探検測量して以来、女川港の良港であるという存在が広く知られる様になつた。今より三百四十八年前の慶長十六年十月(一、六一一)藩祖伊達政宗公の時、イスパニアの使節セバスチャン・ビスカイノ一行が、藩の許可を得て牡鹿・桃生・本吉・気仙の三陸沿岸を探検して測量を行つた。これが恐らく西洋人で牡鹿地方の沿岸を探検した最初のことであろう。一行が仙台城下に着くや、政宗公の歓待は一通りでなかつた。特にイスパニア使節の名誉のため祭典さえ行つた。そして仙台領内に適当なる港を発見したならば、イスパニアの船に対して、寄港の便利を図ろうと約束された。一行は公の好意により、糧食・馬匹・船舶等を用意し、その上奉行二名157

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