女川町誌
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ある。従つて霧ヶ崎が瑞木と称される桐の文字に改めたものと見られる。地名研究家鏡味完二氏が、地名学研究誌上に発表している現地調査によると、岐阜県高山市附近に桐谷(きりだに)という地名があり、その桐谷を土人は伐り谷というが、霧谷ではないだろうか、山間の小盆地にある聚落なので、恐らく霧の多い所であると判断されている。女川町内の針浜に霧ヶ沢という沢がある。これも屢々霧の立ちこむ沢であろう。横浦(よこうら)横浦は女川湾の支湾、野々浜湾の西北に位置し、戸数二十八戸に過ぎない寒村であるが、藩政時代の文政頃から、この地の木村家(五郎右衛門)が、女川組二十浜の大肝入となつたので、地方の一中心となつた。横浦の地名は海岸に多くありそうな名称であるが、全国的には横川・横山・横田・横倉などの地名はあるが、横浦の地名は大字以上の所には見当らない。この地は野々浜湾即ち五部浦の西北岸の横に当る海岸に位しているのでこの地名が出たと思われる。野々浜(ののはま)野々浜は野々浜湾の最西南奥に位し、所謂五部浦(横浦・大石原・野々浜・飯子浜・塚浜)の中心部にあり、後方に山道により荻原・小積などの表浜に連絡している。従つて近時この地に五部浦の小中学校を設置するなど地方文化の中心となろうとしている。野々浜の地名は安永風土記には「野之浜」と書いている。恐らくこの浜の海岸一円には稍々広い原野が開けているので、「野の浜」と呼んだものと推測される。松島湾内に「野々島」という島があるが、この島も「野の島」から転じたものである。大石原(おういしはら)五部浦の一つの浜に大石原浜という地名がある。全国的には大石田・石原などの地名はあるが、大石原という名は見当らない。この地の名はこの浜から大六天山に上る道端、即ち聚落の上、大六天山の麓に大きな石が横たわつている。そしてこの附近一帯は狭いが大きな沢があり、原野状をなしているので大石原の地名が生れたという。安永風土記大石原書出には大石ヶ嶺山御林、長石形嶺、大石原浜屋敷などの名称も出ている。150

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