女川町誌
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『金銀島探検記』の中に石浜の地名が出ている。当時女川湾内に於ては竹ノ浦と共に石浜が船着場として早くから存在していたことが知られる。また更に後世ではあるが寛政十二年(一、八〇〇)から嘉永七年(一、八五四)までの五十五年間に亘り、日記『万ふしきの事控覚帳」を書き続けた石浜肝入勇蔵の住居したのもこの石浜である。女川湾の北岸の宮ヶ崎から石浜・桐ヶ崎・竹ノ浦一帯は、断崖で岩石に富む海岸であるが、恐らく石浜の名はかかる海岸の状態から生れたものと思われる。 なおこの地には名石として雨降石と呼ばれる高さ弐尺、長さ三尺、横五尺程の石がある。安永風土記石浜の名石の項に「早魃に雨を祈り候得ば験有之候に付名附候由申伝え候事」とある。スレート石の産地で、今はポゾランが産出している。竹ノ浦(たけのうら)竹ノ浦は石浜と同じ様に、女川湾の北岸に位する古い時代からの船着場である。慶長十六年(一、六一一)イスパニアの使節ビスカイノが、仙台領の東海岸を調査した際の記録『金銀島探検記』の中に、石浜とともに竹ノ浦の地名が出ている。全国的に見ると竹島・竹崎・竹岡・竹沢・竹田・竹内・竹林・竹原・竹森・竹谷など、竹の字を冠らせた地名が実に多い。特に是等の地名は関東以西の暖国で竹の繁殖地に多く見出される。東北地方の様な雪国には稀れで、本県内に於ては遠田郡の涌谷(湧矢)・箆岳(箆竹)や曲竹(刈田郡)などに竹に縁りのある二、三の地名があるに過ぎない。当町内に於ては浦宿・針浜始め各地に竹の林を見ることであるが、竹ノ浦の地は温暖で、恐らく古くから竹が植栽されていたので、この地名が生れたと見られる。桐ヶ崎(きりがさき)桐ヶ崎は女川港の北岸に位し、石浜と竹ノ浦との中程にある部落である。この地名が文字通り桐に関係があるかどうかを調べて見るに、特に梧桐がこの地に繁茂している訳でもなく、また古来桐の古木などのあつた事実もない様である。恐らくこの地名の桐は霧(きり)から起つたものであろうと推測される。現に桐ヶ崎前面の女川湾から、江島列島へかけての外洋は濃霧に襲われることが少くない。そして霧ヶ崎の東方出島の南端にある四子ノ崎灯台には霧笛が特設されている。これはいうまでもなく、前面海洋に霧の発生することの多い事実を語るもので149

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