女川町誌
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鷲神(わしのかみ)女川湾の西奥、現在女川港の中心街をなしている地区を鷲神と昔から呼んで来た。鷲の文字を地名としている所は全国的には極めて多い。例えば鷲神(佐渡)、鷲島(越中)、鷲宿(下野)、鷲巣(美濃)、鷲津(尾張・遠江)、鷲塚(三河)、鷲宮(武蔵・下野)、鷲尾(丹波)などの地名がある。何れも鷲に連関するものの様である。本県内には亘理郡に鷲足(わしあし)という部落名がある。女川町内の鷲神の地名の由来について調査して見るに、女川湾の最西端の入浜を角浜(かどはま)という。海が深く入り込んだ角(かど)即ち稜にあたり、また海への出入口の門(かど)にあたつているので角浜と呼んだものと見られる。この角浜の海上十数米の所に鷲岩(わしいわ)と呼ばれた大きな岩があつた。然るに大正年代この浜に埋立工事が行われ、この岩は陸地に上つてしまつた。海にあつた当時はその形が恰も鷲が羽ばたいて居る様に見え、折々はこの岩の上に鷲が来て止まることもあつたという。そしてこの岩の小島が神格化され七五三繩さえ張られていた。その後埋立地となつてからは、追々と建物が建ち並ぶ様になり、この岩は大正十一、二年頃町内遠藤医院の所望によりその屋敷内に運ばれ、今はその形も自ら変つているが、七五三繩を張り廻らし現在に及んでいる。この神秘的な鷲岩がこの地にあつたことから、鷲神の地名が生れたと伝えられている。小乗(このり)小乗は女川港の南岸に位し、鷲神の東に接続している聚落である。小乗(このり)の地名の語源を討ねるに、言海にはこのりは鷹類とあり、また大言海によれば兄鷂(このり)から出たので、兄鷂は雄鷹で、雲雀とか鶉などの小鳥などを取るに使われた鷹である。「このり」は小鳥に乗り懸ける意で、夫木抄に「雲雀捕るこのり手にすゑ駒並めて、秋の刈田に出でぬ日ぞなき」という歌がある。そして「小乗」の文字は小鳥に乗り懸けるからとつたものと見られる。この部落は鷲神や高白と共に鷲・鷹・鳶などの多く棲んでいた地方と思われる。高白(たかしろ)高白は小乗りの東南、高崎山(二九四米)の東麓にある一漁村145
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