女川町誌
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管とする所を異にし、郡代官は専ら租税・人別等即ち徴税と戸籍とを主として掌り、郡方横目は代官以下並に郡村民の正邪を検索するもので、即ち司法警察の事にあたつたのである。代官の下役には普請方一人、穀方一人若くは二人、山林方一人、その他合せて七、八人の役人で、郡内の農事勧業、山林殖産などの事務を分担処理したのである。そして代官の上には郡奉行という上役があり、郡内全般の民政を総轄したのである。郡奉行は平素は郡村に詰合わず、春秋の両度郡内を巡視して耕作の精不精や百姓の患難を察し、または鰥寡孤独を恵み、孝子節婦を賞し、秋はその作毛を検見して貢納賦役の率を改変するなどの諸事に当つたのである。勿論年両度の来郡は定例となつて居るけれども、郡村に不時の出来事があれば代官からの稟申に基いて来郡し事務を弁じたのである。その外他領出入の境界取締のために境横目、河川並に海岸通航取締のために石改役を置いたのである。是等の役人は当時官宅である御割長屋に居住していた。五、村方役人村方諸役人には大肝入・肝入・組頭・検断・村年寄・判肝入等があつた。大肝入は代官所区域内に数人を置き、その代官所々轄内を管理して代官会所に出仕したものである。肝入は大体今の町村長か区長で、大い村になると数人も置いた。検断は駅場毎に一人を置き、組頭は戸数五戸に一人を設けた。また維新の際には大組頭というものを置いたこともある。大肝入は部内を総理し、兼ねて行政・警察・司法の事を掌り、肝入以下を指揮監督してその進退を代官に具申し、手代以下の進退を専行したのである。また諸税金を取りまとめて送納し、部内一切の経費を支出徴集したのである。122

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