女川町誌
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七、中世の女川地方古来歌枕として知られた奥の海即ち万石浦の東端に、女川町に属する針浜・猪落などの部落がある。この地には旧跡として鵜島・神社場かしやば崎・巴島・帝みかど屋敷やしき・大納言館・釆女屋敷・殿畑などの奥床しい名称が伝えられている。安永風土記によれば針浜や猪落の地名を始めこれ等の名称の多くは、後醍醐帝の皇子が当浜に遷られた当時の由来に起因すると述べている。(地名の由来参照)この事実は明かでないが、この地の位置や地形並にこの地に現存する古碑などから見ると、当時を語る由緒のある地方と見られるのである。なお女川町内の針浜を始め、飯子浜・女川浜・尾浦・出島などには、建治・正安・嘉暦・貞和・応永・応仁・文明・天正等の中世の古碑が現存している。これ等の古碑は皆仏教関係の供養碑で、飯子浜・女川浜・尾浦・浦宿にある応永の碑は、今より約五百五十余年前に建立したものである。また出島の嘉暦と貞和の碑は約六百二十年前、尾浦の正安四年の碑は出島の碑より三十年余り早いものである。万石浦に面した針浜には碑の数も多く、また七百九十余年前の建治の古碑もある。次に今日まで発見された女川町内にある主な古碑を列挙して見よう。116 飯子浜の古碑

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