女川町誌
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の時代だつたということができるだろう。石器には石鏃のほか打製石斧や磨いた石斧があつて、打製石斧は内山から、磨製石斧は内山・尾田峰・浦宿B・針ノ浜・小浦・竹ノ浦・御前から出土している。穴掘りや立木伐採のときにつかわれたものだろう。石匙さじとよばれる石器は、動物の皮や木皮をはいだり獣肉を調理するのにつかわれたようで、皮剝ぎともよばれている。尾田峰・内山から縦形と横形の石匙がでているが、それに似た石ベラもいつしよに出ている。石の錐きりは動物の皮に穴をあけるためにつかわれたのであろう。離頭銛の穴や土器にみられる修理の穴も、石錐が用を果たしたものと思われる。これは石鏃の先を長くのばした形をしている。内山・尾田峰から発見されている。生活用具としての石器には、そのほか雨だれ石ともよばれる火きり用の凹石、石器や骨角器をみがく砥石、キネの役目をしたすり石、ウスのようにつかつた石皿などがあり、内山の石皿には小さな丸い脚がついている。浦宿門前からは、トッコ石という用途不明の石器がでている。石棒や石剣は武器か部族首長の権威の象徴であつたか、祭祀上の儀礼にもちいられたものであろう。尾田峰貝塚から出た石棒は、五十センチから一メートル位の細長い丸棒で、一方に頭のついたものや頭の一部に文様が彫刻されたものなどが出土している。内山遺跡の石棒は長さ七十センチ位の粗末な太い石棒で、先の部分に男根をまねた刻みがつけられている。土偶とともに生殖信仰の対象となつたものであろう。こうした太い棒は、宗教遺跡として有名な湯沢(秋田県)のストンサークルのように、竪穴住居や敷石住居附近から立つたままで発見されることもある。繩文時代の宗教は、原始社会に共通にみられるアニミズムの宗教であつたと思われる。石巻市住吉町の毛利・遠藤コレクションにある岩版(米山村網場出土)は重要美術品に指定されているが、土版などとともに、不可知な自然神84

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