女川町誌
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で、貨物運送の如きは総て人の背によつて運ばれている。これに反し海上交通は極めて便利で、定期船の往来のみで出島寄港船往復六回(この中寺間寄港二回)となつている。島内には郵便局はもとより、医療施設も昭和二十七年に総坪数七一坪、ベット数十一の出島診療所が改増築され、また国民健康保険組合も全町に先んじて設立されている。学校は島の中央に女川町第四小学校と第二中学校とが設置されている。一四、寺間出島の南部、女川湾に面し、北へ五〇〇米も湾入し、その支湾が更に東に湾入している。これが寺間の港である。この支湾に続く谷があり、谷底の幅約四〇〇―四六米は頗る急峻で、三〇―四〇米の絶壁をなし、谷底に小さい流がある。これが寺間の聚落のある所である。この地は藩政時代は出島の端郷となつていた。湾の奥から東西の方向に約二〇〇米もある谷底が、元来の聚落のあつた所で、その上流の幅の狭い谷底が明治以後に聚落が拡張した所である。主湾から東に入り込んだ小湾が寺間の港なので南風の強い時は湾内に高く波が入り、また西風の強い時も波が立つ出島部落民の生業(昭和二七年調)77

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