女川町誌
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る。しかし是等の部落には学校以外には文化機関がなく、新聞雑誌の購読率も低く、ラジオの普及率は五〇%となつているに過ぎない。医療施設は未だ全くなく、無医部落の状態に置かれている。学校は竹ノ浦に女川町立第一中学校の第一分校が置かれ、尾浦には女川第三(尾浦)小学校が設置されている。一一、御前浜・指ヶ浜女川駅より道を左にとり、陸路宮ヶ崎、石浜を経、石浜より山道を東北に進み、御殿峠(二五二米)を越え、山を下つて行くこと約七・五粁、北上山脈の末端が海に迫る所に御前浜がある。部落は三方山に団まれた海辺の聚落で、御殿山(二八〇米)などの山々を隔ているので女川港との陸上交通は不便である。更にここに漁業者は一人もなく、漁船もなく、従つて港の設備もないので海上交通も不便である。これに反して指ヶ浜は漁港として漁場も広く、各浜との交通も盛んである。御前浜はかような地点にあるので、電燈の如きも、対岸の指ヶ浜と共に只一本の共有線により、郵便物の集配も一日一回に過ぎない。医療施設関係の如きも今もなお無医村に等しい状態である。この地には女川第三(尾浦)小学校の分校が設置されている。御前浜及び指ヶ浜の住民状態(昭和三一年度調)74

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