女川町誌
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二、別当浜漁業権問題の解決別当浜漁業権の仮協定書(昭和三五、三)別当浜漁業権に関する問題は、歴史的な問題で、藩政時代に於ける元禄年間の係争はもとより、古くは中世尾浦の千葉家がこの地方に勢力を得ていたという時代の伝説に遡るのである。それは兎も角、昭和二十七年の漁業制度改革に際し、従来尾浦側にあつた別当浜の漁業権が、出島側に移つたことから、同漁場に対する漁民の生活依存度の高い尾浦側が、この主権の回復を図つたが解決されずに、三年越しの紛争を続けて来た。然るに同二十九年四月に至り、海区漁業調整委員会に於て、尾浦側が入漁することの裁定が下つた。そしてこの入漁操業の際には出島が十隻、尾浦が二十隻の割合で、操業日や操業時間などの細部の協定は両組合の話し合いで決めることになつたのであるが、この裁定に対して出島側は、主権者が入漁側より操業隻数の少いのは不服であるとして、同年六月訴願したのである。翌年五月に至り出島側の訴願が棄却となつて、裁定当時の白紙に帰つたが、この措置を不満とする出島側は尾浦側との会見を避けて来たので、細部の取り極めが出来ず、何時までも漁期を控えて操業が行われないので、尾浦側から海区漁業調整委員会に善処方を訴え出ていたのであつた。また委員会はこの問題は地元民の自主性を尊重しなければならないとして暫く静観して来たのである。993 993

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