女川町誌
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ら開始されます。バ号を積んだ日本郵船熱田丸(一万五十八トン)は十五日神戸に寄港、十九日横浜に到着します。また、バ号の艇長ウーオ海軍少佐ら三士官は十四日夜、フランス航空機で東京羽田空港に到着します。 (日本海溝とは) 千島の東側から三陸房総の沖を通つて小笠原諸島の東側まで延々三千キロ、巾百キロにも達する日本海溝は、世界で最も大きな海溝であり、最深部は一万四百メートルもあつて、世界の海洋学者がすべて注目している未知の海であります。しかも、ソ連のビチャージ号、デンマークのガラテア号やアメリカのベアード号のような外国の海洋調査船がどんどん調査をしているのに、日本には近代的海洋調査船もなく、日本の学界は指をくわえて見ている状態でありました。この日本海溝に実際に潜水して調査をしようという計画を海洋水産関係の学者の間で考え始めたのは二年以上前のことであります。 (バチスカーフとは) スイスのオーギュスト・ピカール教授はイタリヤでトリエステ号というバチスカーフ(深海潜水艇の意)をつくり一九五三年に三一五〇メートルの潜水記録をつくりましたが、フランス海軍もまたベルギーと協力して、トリエステ号とよく似たFNRS三号を一九五三年六月につくり、一九五四年二月十五日にダカール沖で四〇五〇メートルの深海潜水世界記録を樹立しました。ベルギーはこれより先一九四八年にピカール教授とフランス海軍と協力しFNRS二号をつくりましたが、一八〇〇メートルの無人潜水実験を行つて失敗に終りました。そのFNRS二号の貴重な教訓をもとにベルギー科学研究財団(FNRS)とフランス海軍が協力してつくつたのがFNRS三号です。これは数回の基礎潜水実験ののちフランス海軍の所有となり、呼名にだけベルギーの名残りを止めています。このFNRS三号を使つて日本海溝に潜水しようという計画であります。 FNRS三号の図体の大部分は、ガソリンをつめたフロートで、このフロートの下に球体である気密ゴンドラがついています。潜水する人はこのゴンドラの中に入るわけです。全備重量は約八十トン、油を除けば三十一・二トン。 フロートの長さは十六メートル、巾は三メートル、フロートの底には孔があいていて海水が入れるようになつているので、フロートの内外の圧力はつねに同じです。従つてフロートはそんなに丈夫な材料でつくる必要がありません。フロートは十三個のタンクに分れていて、七万八千リットルのガソリンを入れることが必要です。このガソリンは特別に軽いもので比重は摂氏十五度で〇、六七八。このガソリンのために重いゴンドラを含めた艇体に浮力が生じるのです。ただし、潜水すると深く沈むにつれ海水がフロートの中に入り重量が増すので、バラスト(大部分は鋼製の霰弾、他に事故の際に投下する鉛の弾がある)を投下して浮力を調整します。 ゴンドラは鋼鉄とニッケル・クローム・モリブデンの合金で、厚さは九センチ、直径(内径)は二メートル、重量は一二・七トンです。ゴンドラには最上部の甲板からフロートを通つて降り、一つの観測窓がついています。また、なかには空気浄化器や潜水時に海面とモールス信号で連絡をとる超音波送信機が備えられ、各種の計器類のパネルがあります。乗員は二名で、982 982
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